西郷南洲翁(西郷隆盛)の遺徳を偲ぶため村民たちは、明治34年に謫居(たっきょ)記念碑、また、明治35年に南洲神社を建立しました。 南洲翁は文久二年(1862年) 薩摩藩の国主 島津久光公の怒りにふれて沖永良部へ流罪となり、1年7ヶ月牢屋生活をされた。南洲翁は常に牢中に正座して読書に耽り、牢外に少年たちを集めて古今聖賢の道を談じ、また、凶年に備えての社倉法を教えて島利民福を図るなど偉大な余徳をとどめました。 敬天愛人の思想は、この地で完成されたとその道の人々が伝えています。